本記事の対象読者と前提
本記事は、生成AI、システム開発、業務改善、経営判断などに関心を持つ実務者を対象としている。
ただし、本記事は囲碁AIのアルゴリズムを詳細に解説するものではない。
また、AIが人間を完全に超えるかどうかを論じる記事でもない。
本記事の目的は、囲碁AIがなぜ人間を超える成果を示したのかを整理し、その背景にある構造を考察することである。
その過程で、AIが強い領域と、実務で人間が担う領域の違いについて考えてみたい。
本記事で参照する主な一次情報
本記事では、囲碁AIに関する事実確認のため、主に以下の一次情報を参照している。
DeepMind公式 AlphaGo
DeepMind
“AlphaGo”
https://deepmind.google/research/alphago/
参照内容
- Fan Hui戦
- 李世乭九段との対局
- AlphaGoの概要
Nature 2016
Silver, D. et al.
“Mastering the game of Go with deep neural networks and tree search”
Nature, Vol.529, 2016
参照内容
- AlphaGoの基本構成
- 囲碁の探索空間に関する説明
- 研究成果の概要
DeepMind公式 AlphaGo Zero
DeepMind
“AlphaGo Zero: Starting from scratch”
https://deepmind.google/discover/blog/alphago-zero-starting-from-scratch/
参照内容
- 自己対局学習
- AlphaGo Zeroの成果
Nature 2017
Silver, D. et al.
“Mastering the game of Go without human knowledge”
Nature, Vol.550, 2017
参照内容
- AlphaGo Zeroの学習手法
- AlphaGoとの比較結果
- 100勝0敗に関する結果
本記事では、これらの一次情報をもとに、
AlphaGoの対局実績および技術的到達点を確認している。
ただし、本記事の主眼はAlphaGoの技術解説ではない。
囲碁AIの成果を、課題空間と最適化という観点から整理することにある。
はじめに
2016年、DeepMindが開発した囲碁AIであるAlphaGoは、
韓国のトップ棋士である李世乭九段との五番勝負で勝利した。
DeepMind公式情報によれば、AlphaGoは2015年に欧州王者Fan Huiに5勝0敗で勝利し、
その後、18回の世界タイトルを持つ李世乭九段と対局した。
2016年3月の李世乭九段との対局では、AlphaGoが4勝1敗で勝利している。
囲碁は、チェスや将棋と比較しても探索空間が非常に大きく、
長らく人工知能研究における重要な挑戦課題の一つとされてきた。
Natureに掲載されたAlphaGo論文でも、囲碁は巨大な探索空間と局面評価の難しさから、
人工知能にとって難しいゲームとして説明されている。
囲碁AIの成果は、人工知能研究における重要な到達点の一つである。
まず最初に、その事実を正面から認めたい。
本記事はAIの能力を否定するための記事ではない。
むしろ逆である。
AIがなぜ囲碁で強さを発揮できたのかを整理することで、その強さの射程を考えたいのである。
囲碁AIは何を成し遂げたのか
囲碁AIが成し遂げたことを一言で表現するなら、
定義されたゲーム空間の中で、人間のトップレベルを超える手を探索・評価できるようになった
ということである。
囲碁には多くの着手候補が存在する。
一手ごとに大量の分岐が生まれる。
その中から、勝利に近づく可能性の高い手を選び続ける必要がある。
AlphaGoは、方策ネットワークによって有望な手を選び、
価値ネットワークによって局面を評価するという構成を採用した。
これにより、従来困難だった囲碁の局面評価と探索を大きく前進させた。
その後のAlphaGo Zeroでは、人間の棋譜を使わず、自己対局によって学習する方式が示された。
DeepMind公式記事およびNature論文では、
AlphaGo Zeroが過去に公開されたAlphaGoを100勝0敗で破ったことが示されている。
ここで重要なのは、囲碁AIの強さを神秘化しすぎないことである。
囲碁AIの強さは、定義されたゲーム空間の中で、
探索、評価、学習を高い水準で実行できるようになったことにある。
囲碁という世界の特殊性
囲碁AIは、なぜ囲碁で強かったのだろうか。
この問いに対して、
「AIだから」
という説明だけでは十分ではない。
囲碁には、AIが力を発揮しやすい条件が揃っている。
例えば、
- ルールが明確である
- 合法手が定義されている
- 勝敗条件が決まっている
- 評価対象が盤面に限定されている
- ゲームの終了条件が決まっている
これらは当たり前のように見える。
しかし実務と比較すると、非常に重要な違いである。
囲碁では、
何をもって勝ちとするか
が最初から決まっている。
また、
どの行動が許されるか
も決まっている。
つまり囲碁は、課題空間があらかじめ定義された世界である。
ここでいう課題空間とは、解くべき問題の範囲、制約、評価条件が定まった領域を指す。
囲碁では、プレイヤーは課題空間そのものを設計する必要がない。
与えられた課題空間の中で、より良い手を探せばよい。
AIが強いのは最適化できるから
囲碁AIの本質は、
定義された問題に対する探索と最適化能力
にある。
目的は明確である。
勝つことである。
ルールも明確である。
合法手も定義されている。
評価方法も存在する。
だからこそ、
- 良い手
- 悪い手
- 勝ちに近づく手
- 負けに近づく手
を比較できる。
比較できるから探索できる。
探索できるから最適化できる。
最適化できるから強くなる。
囲碁AIが示したのは、AIがあらゆる領域で万能であるということではない。
少なくとも本記事の文脈では、囲碁AIが示したのは、
定義された課題空間において、AIは強力な探索と最適化を行える
ということを示したと考えている。
では実務はどうだろうか
ここで話を現実世界へ戻したい。
例えば、システム開発を考える。
一見すると、システム開発も問題解決の連続である。
しかし、囲碁とは大きく異なる。
例えば、
「良いシステムを作る」
という目的を考えてみる。
ここで疑問が生まれる。
良いシステムとは何だろうか。
- 品質が高いことか
- 開発速度が速いことか
- コストが低いことか
- 運用しやすいことか
- 将来変更しやすいことか
- 利用者にとって分かりやすいことか
どれも正しいように見える。
しかし、すべてを同時に最大化することは難しい。
品質を高めれば、開発速度が落ちることがある。
開発速度を優先すれば、技術的負債が増えることがある。
コストを下げれば、運用負荷が増えることもある。
つまり、実務では囲碁のように勝敗条件が最初から一つに決まっているわけではない。
実務では問題そのものが未定義である
実務において難しいのは、解決策を考えることだけではない。
そもそも、
何を問題として扱うのか
を決める必要がある。
例えば、
「売上が下がっている」
という事実があったとする。
このとき、課題候補は複数存在する。
- 集客の問題なのか
- 商品の問題なのか
- 価格の問題なのか
- ブランドの問題なのか
- 市場選定の問題なのか
- 顧客理解の問題なのか
どれを課題として設定するかによって、取るべき施策は変わる。
システム開発でも同じである。
「障害が増えた」
という事実があったとする。
このとき、考えられる課題は一つではない。
- 品質改善
- 監視強化
- テスト強化
- 開発速度の見直し
- 技術的負債の解消
- 運用体制の再設計
どれを課題とするかは、自動的には決まらない。
ここに囲碁との大きな違いがある。
囲碁では、勝つことが目的として与えられている。
しかし実務では、
何を勝ちとみなすのか
から考えなければならない。
囲碁AIの成功と実務の代替は同じではない
囲碁AIが人間を超える成果を示した。
これは事実である。
しかし、
囲碁AIが成功したことと、実務がそのまま全面的にAIへ代替されることは、同じ話ではない。
なぜなら、囲碁では問題が定義済みだからである。
一方で実務では、問題そのものを定義する必要がある。
何を成功とするのか。
何を優先するのか。
どの制約を受け入れるのか。
どのリスクを取るのか。
これらは最初から与えられていない。
つまり、囲碁AIが示したのは、
定義済みの課題空間における探索と最適化の強さ
である。
実務で求められるものとは、性質が異なる部分がある。
課題空間という考え方
ここで、本記事の中心概念である課題空間に戻る。
囲碁では、課題空間が定義されている。
盤面がある。
合法手がある。
勝敗条件がある。
評価軸がある。
そのため、AIは探索と最適化に集中できる。
一方で実務では、課題空間そのものを定義しなければならない。
何を問題とするのか。
何を成功とするのか。
何を制約とみなすのか。
どの選択肢を許容するのか。
ここには価値判断が入る。
責任も入る。
立場も入る。
時間軸も入る。
だからこそ、実務におけるAI活用では、
AIに答えを出させる前に、
どの課題空間をAIに渡しているのか
を確認する必要がある。
次の記事へ
本記事では、囲碁AIがなぜ人間を超える成果を示したのかを、課題空間という観点から整理した。
囲碁は、ルール、合法手、勝敗条件、評価軸が定義された世界である。
だからこそ、AIは探索と最適化によって力を発揮できた。
では、実務における課題空間とは何なのか。
課題空間は、どのように定義されるのか。
同じ事実を見ても、なぜ人によって異なる課題設定が生まれるのか。
次回は、
課題空間とは何か
というテーマで、この概念をさらに掘り下げたい。
おわりに
囲碁AIは、人間を超える成果を示した。
これは疑いようのない事実である。
しかし、その成果を正しく理解するためには、
囲碁という世界がどのような性質を持っていたのかを見る必要がある。
囲碁は、
- ルールがある
- 合法手がある
- 勝敗条件がある
- 評価軸がある
- 課題空間が定義されている
そのような世界では、AIは探索と最適化によって大きな力を発揮する。
一方で、現実の実務では、
何を問題とするか
そのものが問われる。
囲碁AIの成功は、AIの限界を示したものではない。
また、人間の不要性を示したものでもない。
むしろ、AIが強い領域を理解するための重要な手掛かりである。
その先にある問いが、
課題空間とは何か
なのである。
AI時代に人間を主語に戻すためには、AIがどこで強いのかを正しく認める必要がある。
そのうえで、人間がどこで責任を持つべきなのかを考える必要がある。
囲碁AIの成果は、その出発点として重要な事例だと考えている。
参考情報
本記事では、囲碁AIに関する事実確認のため、以下の一次情報および一次情報に準ずる情報を参照した。
- DeepMind公式 AlphaGo https://deepmind.google/research/alphago/
- Silver et al. Mastering the game of Go with deep neural networks and tree search Nature, 2016
- DeepMind公式 AlphaGo Zero: Starting from scratch https://deepmind.google/discover/blog/alphago-zero-starting-from-scratch/
- Silver et al. Mastering the game of Go without human knowledge Nature, 2017